前回掲載させていただいた
「満天の星」。
改めて読んでみると、たしかに「児童文学」という枠ではないような気がしている。という意味で、的外れのジャンルに応募したことになる。それが敗因の一つかなあ、と思う。小学3年生の子が読んでもたぶん意味が分からないだろう。あと20枚という制約の中で一部無理して圧縮しているところがある。それがうまく処理できているかはわからない。
さて、本作品の創作動機は、小学1年生の我が子に「いのち」の問題を伝えたかった、というのがある。「いのち」とひとことで言っても、漫然としたものではなく、死線すれすれの力を振り絞ったときにみられる「いのちの輝き」を伝えたかった。そういう力が加わったとき、いのちは神に通じる、ということを表現したかった。
さてネタ元だが、主人公ワタルの父のモデルは、海風の屋良彰社長だ。実際に10数年前は、夜10時頃に真っ暗な工房でガラスの継ぎ足しをしていた。
草刈りのオジィにはモデルがいる。実際に草を刈って生計を立てている比嘉さんだ。この人のキャラクターがぼくは大好きで、沖縄を舞台にした小説には必ずと言っていいほど登場させている人物。実際に軍払い下げの迷彩柄の上下を着ている。
山羊は実際に「むら咲むら」で飼われている山羊たち。サーターアンダギーを食べて中毒を起こして死ぬのも実際にあった話だ。
「おいしーさー」も実際にあった食堂。いまはない。しかし小説で書かれたエピソードは実際にぼくが10数年前にうけた話。
ここまでは「本当の話」。それ以外はフィクションだ。
出産のシーンは、youtubeで調べた。山羊汁にカツオ出汁が必要なことも調べて知った。ワタルの友人クレアはハーフの女の子だが、読み返してみると、日本名でもクレアは存在するので、ハーフであることが表現しきれていないなあと思った。
この小説を書く前に、児童文学を初めて書くにあたって灰谷健次郎の作品をいくつか読んだ。
自分としては初めての挑戦だったし、愛着のある作品。100パーセント受賞できると信じてもいた。しかし、先にあげた通り、小学3年生の子どもが読んで理解できるか、と言えば否、というしかない。
自己分析はここまで。
自分ではわからない粗があるに違いないが、それは皆さんに読んでいただいて感想をうかがうしか知る方法がない。
皆様の感想をお待ちしております。
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